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メキシコ学生リーグを経験した唯一の日本人選手、アサヒビール手塚雄斗が見た「知られざるアメフト大国メキシコ」

2020年09月06日(日) 12:29

今年、Xリーグ参戦2年目を迎えたアサヒビールシルバースターのディフェンシブバック(DB)手塚雄斗が屈強なフィジカルを誇るのには理由がある。

日本では決して小柄なプレーヤーではなかったものの、大学卒業後に単身武者修行に出かけたメキシコでは「ガリガリ」とからかわれるほどの体格差に直面し、心技体のすべてにおいて成長を求めた手塚は、ハイレベルなメキシコ大学リーグで多くのことを学び、吸収して母国に凱旋を果たした。

アメリカンフットボールを始めた明治学院東村山高校から国士舘大学へと進学した手塚には卒業後に海外で競技を続けたいとの思いがあり、奨学金を得てメキシコのモンテレイ工科大学プエブラ校に留学している。所属したアメリカンフットボール部は強豪が集うメキシコ大学リーグの中で中堅のポジションながら、アップセットを狙えるチームでもあった。

Xリーグがさまざまなゲストを迎えて配信しているオンラインQ&Aセッション『アメフトークスタンド』に、9月2日(水)のゲストとして出演した手塚は、武者修行の場としてメキシコを選んだ理由について「日本の大学で4年間プレーするとアメリカの大学でプレーすることはできません。条件が合ったのがメキシコでした」と明かしている。

メキシコでは国技のサッカーは別格ながら、アメリカンフットボールもルチャリブレ(プロレス)や野球に次ぐ人気を博し、大学スポーツに限れば、一二を争う花形スポーツである。メキシコ大学リーグはこれまでにアメリカンフットボール最高峰のNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)で活躍する選手を何人も輩出し、世界第2位の規模を誇るCFL(カナディアン・フットボール・リーグ)には毎年10人前後の選手を送り込むなど、非常にレベルの高い大学リーグだ。

チームはもちろん、リーグを見渡しても唯一の日本人選手だったが、偏見にさらされることはなかったといい、「国民性ですかね。フレンドリーで細かいことを気にしないんですよ」と分析した手塚によると、「スピードでは負けませんでしたが、ラインのサイズは日本より大きいです。みんな、体幹ががっしりしていて気性も激しくヒットも強い。日本ではディフェンシブバックとしては小さい方ではありませんでしたが、メキシコでは『ガリガリ』だと、よくからかわれました(笑)」とのこと。

留学当初はスペイン語を話せず、英語も決して流ちょうとは言えないながらも、フィールド上のやり取りはなんとか英語でコミュニケーションを取れたが、団結力がものを言うアメリカンフットボールの世界でチームの一員となるためには、やはり共通言語の習得が必須だ。スペイン語が欠かせないことを痛感した手塚は、大学の授業と練習の忙しいスケジュールの合間を縫って、チームメイトや友人との「飲みニケーション」で語学力を磨いたといい、手塚いわく、万国共通という「アメフトと異性の話題」を中心にスペイン語での会話を楽しみながら学べたそうだ。

スペイン語が上達するにつれてパフォーマンスも向上し、コーチからの信頼も増した手塚は大事な場面でスペシャルプレーを任されるほどになった。逆転劇を演出し、ゲームMVPに選ばれたこともある。

とはいえ、常に順調だったわけではない。手術が必要なケガにも見舞われており、「医学用語までは分からないので、こちらの言っていることがきちんと伝わっているのか不安でした」と振り返る手塚だが、靭帯(じんたい)を移植する再建手術を受けたと明かす。

「靭帯(じんたい)を移植したのですが、メキシコには『靭帯バンク』があるので、ボクの靭帯はメキシコ製なんです」

そう明るく話す手塚は、日本の大学生プレーヤーにメキシコ留学を勧めるかと問われ、「心は間違いなく鍛えられるでしょうね」と話した一方で「戻りたいかと言われたら、ボクはもういいかな」と笑って返すが、表情には自信が満ちる。

近い将来、ハイレベルなメキシコ大学リーグ経由でNFL入りを目指す日本人選手が続々と現れたとき、パイオニアとして真っ先に名前が挙がるのはこの若き守護神であることは間違いない。