【X Factor】オール三菱ライオンズ 田島広大
2021年05月25日(火) 19:00
Xリーグの活動には選手、コーチ、スタッフなど実に多くの人たちが携わっています。その「X戦士」たちに焦点をあてて紹介する連載企画「X Factor」。7回目の今回はオール三菱ライオンズのTE田島広大選手です。日本一になりたくて早稲田大学高等学院でアメリカンフットボールを始めたという田島選手。しかし、そこには強豪ならではの伝統との戦いがありました。
日本一になりたくてアメフトの世界へ 伝統の中で知った勝利の重さ
オール三菱ライオンズは昨年、X1 Superのチームで唯一シーズンの参加を見送った。スポンサー企業にリスク管理の厳しい金融会社が入っており、新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される状況下ではフットボール活動が制限されたからだ。会社のグラウンドが使用禁止となるなかで春から夏にかけて公園や河川敷でトレーニングを重ねてきたが、8月に出場辞退が正式に決定。チームには落胆ムードが漂った。
「金融会社が集まるチームなので僕らがコロナに感染したら全国各地の支店に迷惑がかかってしまうという判断だった。新外国人選手も獲得する予定だったし、秋シーズンに向けて頑張っていこうという心境だっただけに、みんながガクッときてしまった」とTE田島広大選手は言う。所属企業の決断でトレーニングジムへの出入りを禁じられる選手もあった。ほかのチームがレギュラーシーズンを戦うあいだ1チームだけ蚊帳の外に置かれた。活動が許されないために一時的にフットボールから遠ざかる選手がいたのも無理はなかった。
幸いに田島はジム利用を禁じられることはなかったので筋力トレーニングは続けることができた。また、母校の早稲田大学でコーチをしているので自身も学生に混じってショルダーパッドをつけてフィールドに立ったりもした。
今年のライオンズは例年より2週間ほど早くシーズンインした。昨年1年間のブランクを少しでも早く取り戻すためだ。しかし、またも緊急事態宣言が発出されて思うような練習ができない春シーズンとなった。ただ、ライオンズでは転勤などで抜けたベテラン選手の穴を若いメンバーを中心に埋めており、今シーズンのリーグ参加が容認されれば心機一転、新生チームで戦う準備は進めている。
田島は小学校6年生の時ですでに身長が182センチ、体重が88キロあったそうだ。「子供料金の切符で駅に入るときにいつも駅員さんに言い訳していた。どちらというとジャイアンみたいな体型だった。180センチもあれば小学校サイズの高さのバスケットボールコートならダンクも十分にできるはずなのに、体が重くてそれさえもできなかった」と田島は笑う。
野球、サッカー、ラグビーなど体格を生かせそうなスポーツも一通りやったが、どれも長続きしなかった「田島ジャイアン」。それでも、地元練馬区のわんぱく相撲では4連覇した輝かしい経歴がある。中学校時代は一転してバレーボールに打ち込み、早稲田大学高等学院に進学するとアメリカンフットボール部に入団する。その理由は「日本一」への憧れだった。
「『アイシールド21』を読んでいて『クリスマスボウル』という言葉にはなじみがあった。僕が入る前年度(2010年)に早大高等学院が優勝したので興味があった」と田島は語る。当時の早大高等学院はクリスマスボウル4連覇(両校優勝含む)の真っただ中だ。まもなく田島自身も「日本一」を経験することになるのだが、その過程で勝ち続ける伝統の難しさも味わった。「(下級生のころは)常に勝ち続けてる先輩たちの背中を追いつづけてきた。いざ自分たちが高校3年生となった春に都大会決勝で負けてしまって公式戦の連勝が36でストップした。自分は副主将だったが、幹部全員で丸刈りになった。勝利の重みを感じた」
高校1~2年生と大学1~3年生時に指導を受けた濱部昇氏(現オービックシーガルズコーチ)からは大きな影響を受けた。早大高等学院の教員でもある濱部氏には「フットボールとは何たるか、日本一のプレイヤーとは何たるか」ということを教え込まれた。「何かを変えるときには大きく変えてチャレンジしないとその良し悪しが分からない。失敗してもいいから自分を大きく変えてチャレンジしろとよく言われた。エラーが出てもそれを修正していけばいいんだからと。また、日本一というものは頑張って練習してなるものじゃない。日本一のプレイヤーにふさわしいものが日本一になるんだと教わった。日常生活から礼儀まで全部たたき込まれた」と田島は語る。
監督代行を経て2014年から正式に早稲田大学の監督になった濱部氏は2015年にビッグベアーズを甲子園ボウルに導く。同大学としては5年ぶり3度目の出場だ。当時2年生だった田島はこのシーズンの関東大学リーグで頂上決戦となった法政大学戦が忘れられないという。
この年から試合に出るようになった田島は「『下克上だ』と言いながら無我夢中で戦っていた」と振り返る。試合時間残り33秒に20ヤードのTDパスで27-24と追い上げた法政大学のオンサイドキックを、早稲田がリカバーしてゲーム終了となる。このリカバーをしたのが田島だった。「その瞬間みんなが集まってきて、あれだけ怖かった4年生の先輩たちとも抱き合って『紺碧の空』を歌った。早稲田の歴史を変えた試合だなと思った」
これ以降、早稲田大学は昨年まで6年間で4回甲子園ボウルに駒を進めており、関東大学リーグの雄としての地位を確立してきた。まさにこの法政大学戦は伝統あるビッグペアーズの新しい1ページを開くきっかけとなったのである。
平日は東京海上日動火災保険株式会社で忙しい日々を過ごす。金融業には学生時代にアメリカンフットボールを経験した人材が多い。しかも主将やバイスキャプテンなど幹部経験のある選手やリーグで活躍したプレイヤーが集まる。「(こういう人たちは)自分たちがやってきたアメフトにプライドがある。学生時代に比べたらそこまで体は鍛えられていないけど、やっぱりアメフトのセンスというものは持っている。そのプライドで負けたくない」と田島は言う。「11年間ほどアメフトをやっていて思うのはチームメイトとの関わりが深くなるということ。絶対に忘れられない仲間ができる。社会人になってもっと広い世界で人と会うことができた。アメフトはいろんな人と関わり、いろんな仲間ができる凄くいいスポーツだと思う」
田島広大(たじまこうだい)
1995年7月22日生まれ 東京都出身。早稲田大学卒。
オール三菱ライオンズTE 背番号87
186センチ、100キロ
オール三菱ライオンズ
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