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【私とライスボウル】関学大伊角HCの涙を初めて見たレナウン戦:堀古英司さん

2022年01月02日(日) 13:30

1984年に日本選手権試合となり、名実ともに日本最高峰のボウルゲームと位置付けられたライスボウルでは過去にいくつもの名勝負が生まれました。今でも語り継がれる数々の好ゲームはまた多くの名選手や名監督を輩出しました。こうしたライスボウルを彩った名選手、名監督たちにライスボウルにまつわる思い出や知られざるエピソードを教えていただきました。題して「私とライスボウル」。
*ご協力いただいた方にアンケートをお願いし、回答を掲載しています。

今回は関西学院大学ファイターズとアサヒビールシルバースターで活躍されたWR堀古英司さんです。

プロフィール
堀古 英司(ほりこ・ひでじ)
出身大学:関西学院大学
出身社会人チーム:アサヒビールシルバースター
ライスボウル出場時のポジション:WR
ライスボウルに出場した年と在籍チーム:1986年 関西学院大学、1990年 アサヒビールシルバースター
近況:Horiko Capital Management LLC / President & CEO NYのヘッジファンドマネジャー

Q: 自分が出場したライスボウルで一番思い出に残っている大会はどの大会でしょうか?その理由も教えてください。
堀古: 1986年 関西学院大学vsレナウンローバーズ。前半7-35とリードされてから後半追い上げたものの結局追い付かず、42-45で試合終了。明治との甲子園ボウルで力を使い果たしてしまった感が強く、後になって準備不足を深く反省する大会となった。

Q: 自分が出場したライスボウル以外で、印象に残っている大会はありますか?あるとすればどの大会で、それはなぜですか?
堀古:大学日本一vs社会人日本一となって初めての37回大会(1984年)。当時大学vs社会人という初の試みであり、位置付けが困難と見られたが、京都大学の大社-梅津のホットラインをはじめ、非常にレベルの高いゲームとなり、大学vs社会人としてのライスボウル人気の火付け役となった。

Q: 過去のライスボウルで特に印象に残っている選手、監督、コーチはいますか?実際に対戦したチームでなくても結構です。
堀古: 1986年関西学院大学として出場の伊角ヘッドコーチ。前半大きくリードされてむかえたハーフタイムのミーティングで、「あまりに情けない」と選手達に爆弾を落としていた。これでチームが目を覚ましたか、逆転まであと1本に迫った第4Q、あの冷静な伊角HCの目に涙が。伊角HCの涙を見たのはあれが最初で最後でした。

Q: フットボール人生や普段の生活で、ライスボウルの出場前と出場後で大きく変わったことはありますか?
堀古:現役の時、ライスボウル出場が決まったら、練習やミーティングでクリスマスや正月も無くなるのは大変ですね、と言われたことがよくありましたが、フットボール選手にとって、クリスマスや正月も練習できるのはとても幸せな事でした。逆にライスボウル出場を果たせなかった年のクリスマスや正月は居ても立っても居られず、敢えて練習するようにしていました。

Q: 今年から社会人同士の戦いとなるライスボウルにどんなことを期待しますか?
堀古:アメリカに劣らない、レベルの高い試合を期待します。選手の皆さんには、フットボール界の頂点にいるとの誇りを持ち、フットボール界全体の振興をリードする役割を果たしていってもらいたいと思います。

Q: 最近の近況についてお聞かせください。
堀古: ここ数年人気の、アメリカ株に投資するファンドの運用をしています。投資を始めたいが、何から初めてよいか分からない、という人は是非、弊社が運用する「新ホリコ・フォーカス・ファンド」(楽天証券で販売)に投資をよろしくお願いします!(笑)
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/fund/detail/?ID=JP90C000D4C5

Q: 最後に、ライスボウルを楽しみにしているファンの皆様にメッセージをお願いします。
堀古: 近年、社会人のレベルが非常に高くなったことによって、ライスボウルは今回から社会人vs社会人で開催されることになりました。これは日本でアメリカンフットボールが進化するにおいて遅かれ早かれ、避けて通れなかった道です。言い換えれば日本のアメリカンフットボールは次の次元に進化し、日本でも非常にレベルの高い試合が見られるようになったという事です。是非日本最高レベルの戦いを楽しんでいただければと思います。