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【X Factor】ウィニペグ・ブルーボマーズLB丸尾玲寿里

2021年07月09日(金) 19:25

この夏、6人の「X戦士」がカナダのプロフットボールリーグCFLに挑戦します。「X Factor」ではその6選手全員に独占インタビューを行いました。7月10日のトレーニングキャンプ開始を前にCFLに挑戦する意気込みを聞きます。

「日本人初の1巡指名 NCAA Div.I校の誇りをかけてCFL へ」

「X Factor」CFL編のトリを飾るのはウィニペグ・ブルーボマーズから1巡(全体の4番目)で指名された丸尾玲寿里選手です。米カレッジNCAAのディビジョンI所属でFBS校のひとつ、テキサス大学サンアントニオ校で活躍したあと日本ではアサヒ飲料クラブチャレンジャーズでプレイしました。一度はプロリーグの夢が破れてフットボールを断念しようとまで思った丸尾選手のCFL挑戦が始まります。

Q:CFLグローバルドラフト当日(日本時間4月16日未明)はテキサス州サンアントニオで指名の知らせを受けました。
丸尾:テキサス大学サンアントニオ校(UTSA)時代のチームメートの家でPCのスクリーンを大型テレビに映して見ていました。1巡で指名される予感はありました。(サスカチュワン)ラフライダーズ以外のチームとはすべて話をしていたので。ウィニペグが指名してくれることも予想していました。彼らが一番興味を示してくれたし、ミーティングもたくさんしてきたからです。名前が呼ばれた瞬間は飛び上がって叫び回りました。それくらいうれしかったです。

Q:指名の後にチームから電話をもらった映像が公開されました。
丸尾:指名からしばらく時間が経って少し落ち着いたころに電話をもらいました。最初は誰か分からないまま電話に出たのですが、相手はHC(マイク・オシェイ)でした。CFLでLBとして活躍して殿堂入りも果たしている人なので、とてもうれしい瞬間でした。

Q:指名後もサンアントニオにとどまり、トレーニングをしていたようですね。
丸尾:ドラフトの前まではUTSAの施設ではフットボール場しか使えませんでした。コロナの影響もあってウェイトルームは使えず、自費でウェイトトレーニングを行っていたんです。指名を受けた後、UTSAの春季ゲームを観に行っときにコーチたちに祝福されました。その時にウェイトルーム使用の許可をもらって使わせてもらうようになりました。それからは毎日UTSAで正午からフィールドで練習して1時半ごろからウェイトルームに向かうというスケジュールをこなしてきました。
UTSAの選手たちと一緒にトレーニングできたのはよかったです。みんなサイズがあってスピードも速い選手たちばかりです。日本でアメリカ人よりもサイズの小さい日本人選手とプレイすることに慣れていたので、この期間にアメリカ人選手に囲まれてトレーニングできたのはよかったです。

 

Q:この2か月余りで成長を感じますか?
丸尾:そうですね。2019年にUTSAでプロデーを行った時よりもスピードが上がったし、より強靭になり、瞬発力も増しました。去年は大阪でCFLコンバインに臨みましたが、数値は毎年よくなっています。これまでで今が一番いい状態です。アメリカではランプレイが多いし、選手の体も大きくてパワフルなフットボールをします。だから大学時代は体重が228ポンド(約103㎏)ありましたが、今は220ポンド(約99㎏)まで落としました。CFLではパッシングゲームが多いので よりSに近いLBのようにプレイしたいからです。スピードが速くなって、ただのランストッパーではなくレシーバーにも1対1でカバーできてRBにも対応できる選手になりたい。だからUTSAではパスカバレッジのスキルを上げるためにSやDBと一緒に練習をしてきました。

 

Q:CFLのフィールドやルールにはどう対応しますか?
丸尾: CFLではパスが多いし、4ダウンではなく3ダウン制です。だから自分にはLBではあるけれどもDBとしての練習を多く課してます。もしLBにDB並みのスピードとクイックネスが備われば大きな武器です。UTSAやXリーグでは自分の強みであるパワーを鍛えることに集中していました。僕は日本人選手よりもパワーがあるし、アメリカ人の選手と比べてもパワーでは遜色ありません。でも今は自分の弱点克服に努めています。つまりパスカバレッジやフィールドワークです。ランストップだけでなくパスカバレッジやスペシャルチームのプレイなど、すべてをこなすオールラウンドプレイヤーになることが目標です。そういうトレーニングをしてきているので状態は仕上がっていると思います。

Q:丸尾選手がプロフットボール選手になることを目指したのはいつごろですか?
丸尾:子供のころからずっとプロアスリートになりたいと思ってきました。そのころの夢はプロ野球選手になることです。「将来は何になりたい?」と聞かれたら「プロ野球選手」といつも答えていました。小学校1年生からはじめて高校を卒業するまでずっと野球をしていました。大学でも野球を続けることを考えましたが、スカラーシップのことなどを考慮するとアメリカンフットボールのほうがチャンスが広がるし、アメリカでは大学レベルでも野球よりフットボールのほうが人気が高い。そこでフットボールを選びました。
僕はジュニアカレッジで(現ニューオリンズ・セインツのRB)アルビン・カマラとチームメートでした。彼がテネシー大学に進み、やがてセインツに行ったとき、「彼がNFLに行けたのなら自分にも可能性があるんじゃないか」と思ったんです。また、同じくジュニアカレッジで一緒だったLBカイル・ウィルソンはNFLではイーグルスとチャージャーズでプレイして、今はハミルトン・タイガーキャッツに在籍しています。彼もカンザス州のウィチタの出身でジュニアカレッジでは2年間チームメートだった。実力では彼に負けていないので、僕もNFLから声がかかるかと思ったけど、それは残念ながら実現しませんでした。
そこで、UTSAを卒業した後にCFLに挑戦しました。オタワ・レッドブラックスがヒューストンで行ったトライアウトに参加したんです。でもCFL入りは叶いませんでした。
もうフットボールを辞めてしまおうかとも思ったんですが、ちょうどその頃に(アサヒ飲料クラブチャレンジャーズで)チームメートだったロバート・ジョンソンからXリーグの話を聞きました。当時チャレンジャーズにはすでにアメリカ人選手が4人登録されていて、ほかのチームもほとんど上限の4人枠を使ってしまっていたので、ロバートには日本に来るのはあと1年待った方がいいと言われたんですが、僕は「いや、そもそも僕はアメリカ人じゃない。日本のパスポートを持っているし、日本人だ」と言ったんです。そこでチャレンジャーズの監督と話をして入団が決まりました。チャレンジャーズはいいチームです。プロ契約で2年間プレイして、いい経験を積ませてもらいました。そして、今CFLに再挑戦します。ここまでは長い道のりだったけど、貴重な経験でした。

Q:UTSAでプレイしたことは丸尾選手がフットボール選手として成長するうえでどのような影響がありましたか?
丸尾:UTSAはFBS校ですし、ディビジョンI所属校です。ベイラー大やテキサスA&M大、アリゾナ州立大、カンザス州立大といった強豪校とも戦いました。こうした相手にいつも勝てたわけではないですが、ベイラー大には勝ったことがあるし、ほかの有力校とも勝てないまでも競った試合をすることができました。アメリカのディビジョンIの大学ではフットボールはビジネスのようなものです。いわばプロです。フットボールプログラムで何百万ドルというお金が動くし、テレビ放映も盛んです。有力スポンサーもつくし、UTSAはホームのアラモドームに毎回3~4万人を集めて試合をしていました。カレッジフットボールは本当に真剣なんです。毎日陽が昇ってから沈むまで練習をして、フィルムを見て、ミーティングを重ねて...。そういう環境は僕を成長させてくれました。だから僕にとってCFLのようなプロリーグに行くのはそれほど難しくないのかなと思います。

Q:UTSAではスカラーシップをもらい、チャレンジャーズではプロ契約でした。そんな丸尾選手にとってアマチュアとプロフェッショナルの違いは何だと思いますか?
丸尾:アメリカのディビジョンIはとても厳しい世界です。成績が悪ければコーチは解雇される。僕はUTSAでプレイした3年の間で何人ものコーチが職を失うのを見てきました。選手だっていいプレイができなければスカラーシップを失う。日本では選手はみんな職業を持ちながらフットボールをしています。でも、プロリーグではフットボールこそが仕事であって、プロになるということは毎日真剣になって仕事に全身全霊を注ぎ込むことです。「寝て、食べて、フットボールをする」の繰り返しなんです。それこそが唯一やるべきことだから。それがアマチュアとプロの違いなんじゃないかと思います。
僕はアメリカ人やカナダ人と比較しても能力で負けない自信があります。だから自分がいまどのような立ち位置にいるかを試したい。そして、グローバル選手、特に日本人がどのくらいの実力なのかを見てみたい。日本人全員がアクティブロースター入りできたらいいなと思います。そうすればほかの日本の選手たちが次のグローバル選手になるという夢を描くことができます。その先にあるのはNFLです。そして、もちろんそれこそが僕が挑戦していくことです。

丸尾玲寿里(まるお れすり)
ウィニペグ・ブルーボマーズLB(1巡全体4番目指名)
1996年2月14日、三重県生まれ。スコットランド人の父と日本人の母の間に生まれる。3歳の時に父が死去し、静岡県に引越し。9歳の時、母とともに米カンザス州ウィチタに移住。NCAA ディビジョンI FBSのテキサス大学サンアントニオ校でLBとして活躍し、2019年にアサヒ飲料クラブチャレンジャーズに入団。2020年日本代表。183㎝、103㎏ (2020年シーズン時)。

Winnipeg Blue Bombers(ウィニペグ・ブルーボマーズ)
1930年創立。いわゆるシェアホルダーとしてのオーナーは存在せず、NFLのグリーンベイ・パッカーズのように地域が所有するチームである。2019年はウェストディビジョン3位の成績からプレーオフで勝ち進み、第107回グレイカップを制覇した。2020年シーズンは行われなかったため、ディフェンディングチャンピオンとして今季に臨む。ニックネームは地元のあるスポーツ記者がウィニペグのチームを「ブラウンボマー(褐色の爆弾)」と呼ばれた人気ボクサーのジョー・ルイスになぞらえて、「ブルーボマー(青い爆弾)」と表現したことに由来するとされる。本拠地:マニトバ州ウィニペグ ホーム球場:IGフィールド(33,000人収容) 2019年シーズン:11勝7敗( ウェストディビジョン3位) グレイカップ優勝:11回(11 (1935、 1939、 1941、 1958、 1959、 1961、 1962、 1984、 1988、 1990、 2019年)

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